愛し

10年以上も一緒に過ごしてきた愛犬

体調が優れてないのはわかってた

家族の誰よりもわかってた

だけど、なにもしてやれなかった

いつものように撫でてやるようなことしか

 

いってしまうとき

ふと倒れ込み苦しそうにしていた

楽しかった思い出の分

その最後の苦しむ姿を見るのが辛かった

 

家族はみんな帰ってきて泣き崩れた

私も強い人間ではないから

泣きわめいた

何も出来なかったことを悔やむと同時に楽しかった思い出がぐっとこみ上げ

思い出の数だけ涙がこぼれるようだった

 

カーペットでおしっこをした時だって

怒っていたけど

とても大好きだった

あとで怒ってごめんねを言えればよかったけど

言えてなかった

 

悲しい時は駆け寄って来てくれた

泣いてるとなにしてるのと

駆け寄って来てはそばで寄り添ってくれた

 

人見知りで誰に対しても吠える子だった

けど、優しくしたらその倍の愛情を返してくれてた

噛み付くこともあったけどほとんど甘噛み

本気でかんだ時はごめんねと舐めてくるぐらい優しかった

 

幸せだっただろうか

楽しかっただろうか

そんなことを考え今日の終わりを迎える

 

楽しかった思い出の分

別れは辛くなる

楽しませてあげれたならよかった

 

そして誰にでも優しかった愛犬のように

どんな時も愛情を与えた愛犬のように

優しい、愛のある人間にならなくてはと

思う今日の日だった

 

過去を忘れて生きる日々だけど

忘れたくないことを

忘れてしまう日が来るのが恐ろしい

 

人間とはそんな生き物なのだろうか

 

 

 

 

吐く

とりとめもなくなにかが

ぐっ、とこみ上げてきて

なぜかしらないうちに

頭真っ白だけどふらふらになる

 

いつもの偏頭痛かのように感じる

けどそしたらきっと

立ちくらみなんてしない

 

特にこれといったものが

のしかかるわけでもないけど

身が重く動きたくない

 

そんな日に出勤し

動きたくないけど働き

帰ればなぜいるのかと聞かれる

 

そんな日々だったとて

君がいれば愉快に感じてしまう

昔行ったアスレチックの木

その続きが気になるかのように

この先になにがあるのか

待ちきれない 知りたくてたまらない

非現実のような毎日から

僕らはどこまで行けるだろう

なんでこう偏ってんだ

偏見のかたまりだな

 

一方的に押し付けられる

意見持ってちゃだめかよ

なんだよ機械って

考え方押し付けられたら

機械になるわ

 

頭おかしい人が寄ってたかって話して勝手に潰れちまえ

 

別に意見あるのわかるけど

こっちにだって意見はあるし

一方的にぶつけないでほしい

 

のうのうと生きてるとは思わないでもらいたい

こっちだって何か考えて生きてる

子どもじゃねぇよ

自分の意見曲げなきゃなんないなら

狂ってるよもうすでに狂ってるよ

一方的に言ったって何にもなんないだろ

 

あーはやくでたい

誰が障害という言葉を生み出したんだ

誰が正論とか言い始めたんだ

誰が神とか言い始めたんだ

正しさってなんだ

正解ってなんだ

 

あーでもねー

こーでもねー

キリがねぇ

そんなこたぁしったこっちゃねぇ

 

なにが良いなんてそんなこと興味ない

どうしたらいいかなんて聞いてない

じゃあお前は?ってなにもない

逆にお前はなんかあんのかい

自信を持って答えられるのは正気かい

 

全ての物事が曖昧

これでいいんじゃない?

 

 

 

 

 

 

半分

今年も半分が終わり振り返る。当然のように思い出はある。しかし、これを頑張った、などの功績はなにもない。できる限りはやってきたつもりでいるが、

「あくまでつもり。自分が頑張った気でいても自己満足にすぎない。」

と言われ、なんで人からの目線で言われなきゃならない?   と思ってしまった。

 

自分では本気で頑張ってるし、つべこべ言われなきゃならない理由がない。

生まれながらに比べられる。

この子は何gだから大きいね あの子は何gだからちょっと小さいね

けど、その子にとっては生まれて初めての背比べ

みんなみんな立派な赤ちゃんですって生まれてきちゃダメなのかな?

 

 

自分になにがあると問われればなにもないけど、味方だよ?

これといって支えられることはないけど寄り添ってるよ?

 

頑張ってるから頑張ってって言わないで

待ってるねとかそんな言葉をかけてほしい。

 

特に意味はない

ただの独り言にすぎない、普段吐けない気持ちをぶつけるだけの場所。誰に言うわけでもないし、評価されたいわけじゃない。愚かな人間の独り言だと思ってください。

 

 

これといった取り柄もなく、とりとめもない人間で、なにをわかっていてなにをわかっていないかもわからない中にいる。

 

探してるものは意外と身近にあると言われ、たしかにこんなに近くにあるのかとわかった。遠くを見ればその分だけ遠くの景色はくすむ一方で近くのものは見えない。もちろん遠くのものだってはっきり見えちゃいない、だからこそ、近くにあると言われるのかもしれない。

 

 

手にしたハッピーエンディング。これでいいと思ってるのは、自分だけなのだろうか。自分が信じてるものは幻想なのか。これが自分だけが信じてるものなのか。幸せに感じるのは自分だけなのだろうか。

 

 

時間の流れが早く感じるようになった今

本当の幸せがわかると思ってた

今がその幸せじゃないのなら

なにが本当の幸せなのだろう

 

 

それぞれの人生でそれぞれ違う幸せが用意されているということなのか

じゃあなぜ幸せと呼びそれが喜びや嬉しさの混ざったものなのだろうか

 

 

 

答えなんてないのにわからない